用語・参考文献 TOPICS

用語・参考文献

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投稿者:テレジア.M.インダ.ヒロタニ

用語

マレーシア Malaysia

国の正式名称。マレー半島の南部(西マレーシア)とボルネオ島北部(東マレーシア)から成る。気候は一年を通じて高温多湿。人口は約3200万人。イギリス植民地時代、西マレーシアはマレー、あるいはマラヤ、東マレーシアは、サラワク、英領北ボルネオ(現サバ)と呼ばれた。現在使われるマレー(Malay) はマレー語、マレー人またはマレーのという意味。主な民族はマレー人、中国人、インド人などで、総人口の4/5が半島に住む。東マレーシアではダヤクと総称される少数民族(カダサン、イバン、ムルットなど)が3/5を占める。もともと人口の少ない地域だったが、19世紀イギリス植民地時代に労働力として中国、インドから大量の移民が流入したことにより、今日の多民族国家が形成された。民族構成はマレー系(少数民族を含む)が約60パーセント、中国系が約25パーセント、インド系が約9パーセントとされているが、移民が急増しているためその比率は流動的である。

マラヤ連邦 Federation of Malaya

第二次大戦が終結し、日本軍が英領マラヤから撤退すると、イギリスは再びマラヤを占領して「マラヤ連合構想」を提案した。シンガポールを除く9州(注)とペナン、マラッカを統合し、住民には出身を問わず平等な権利を与えるというものであった。

しかしこの構想の実態は、以前にも増してイギリスの支配を強化するものであり、また日本占領期に優遇されていたマレー人にとっては、従来のさまざまな既得権を失うことになり、マレー社会は猛反発をした。この反対運動の中で、「汎マラヤ=マレー人会議」(今日のUMNO=連合マレー人国民組織の前身)が生まれた。

1948年イギリスはこれに答えて、マレー人の特権(注)を認め、サルタンの権限を強化し, 非マレー系住民の市民権獲得を制限する11州からなるマラヤ連邦(イギリス連邦内での独立)を発足させた。しかし、これには中国人社会が反発。マラヤ共産党(主に中国系によって構成され、東南アジア最大の共産党だったが、非合法化される)とその傘下のマラヤ人民抗英軍は、武力闘争を展開していく。イギリスは様々な方策を取ってゲリラ活動を封じ込めたため、51年以降は勢力が衰える。

 

 

 

 

 

この間、華人たちは自分たちの意思を反映させる新たな政党の必要性を感じるようになり、反共・親英的なマラヤ華人協会(MCA)が組織された。UMNOとMCAは連合協定を結び、また戦前から活動していたマラヤ・インド会議(MIC)も参加して、三者の妥協(注)が成立し連盟党が結成された。55年、第一回総選挙が行われた。連盟党の選挙公約は4年のうちにマラヤを独立させるというもので圧勝。早や2年後の1957年に完全独立を果たした。初代首相には王族出身で弁護士のアブドゥル・ラーマンが就任した

マレーシア連邦 Federation of Malaysia

シンガポールは第二次大戦後、再びイギリスの植民地となった。しかし日本軍に占領されるやいなや防衛を怠り本国に逃げたイギリスを、シンガポールの住民は許さなかった。独立の機運が高まり、人民行動党と労働戦線の二大政党が生まれた。55年の選挙では労働戦線が勝利したが、59年の選挙では人民行動党が大勝し、イギリス自治領として独立を宣言。党首リー・クアン・ユーが首相になった。

ラーマンは、マレー半島の統一だけに満足することなく、マラヤ連邦とシンガポール、サラワク、北ボルネオ(現サバ)、ブルネイの旧英領をまとめたマレーシア連邦構想を提案した。この構想はマレー人の特権を認めるものであったため、北ボルネオ、サラワク、ブルネイは反対した。狭小な土地で資源を持たないシンガポールは、連邦の一員となって存続していく以外の選択肢はなかった。大幅な妥協の末に1963年、ブルネイを除くマレーシア連邦が成立。

しかし住民の大半が中国系であるシンガポールにとっては、なお強い不満が残り、リーは各民族の平等を主張して、その後も政府と激しく論戦を繰り広げた。さらに財政負担の増加に対する不満も加わり両者の対立は激化する。連邦政府は中国系の勢力が強まることを恐れ、シンガポールを分離させることを決断した。1965年シンガポール独立。現在マレーシアは、13州からなる連邦国家で立憲君主制をとる。

1981年にマハティールが首相に就任したことは、マレーシア政治の大きな転換点となった。強力なリーダーシップによってマレー優先政策はさらに推し進められ、ゴム、スズ、石油、パーム油などの一次産品経済から工業化への転換を果した。しかしこれらには負の遺産もあり、非マレー系の優秀な人材の海外流出、民族を超えた経済格差の拡大などの課題を抱えている。

マレー人  Malays

歴史的には、マレー半島にはプロトマレーと呼ばれる狩猟先住(OrangAsuri)が住んでいたが、BC2500~1500年頃にかけて雲南地方からの民族が南下して海岸地域に定住を始めた。これがマレー人の起源といわれている。

憲法には「マレー語を日常的に話し、イスラームを信仰し、マレーの習慣に従う人々」と記載されている。

19世紀までマレー半島の人口の主流を占めていた。マレー文化はタイ、スマトラ、ジャワの混合で歴史的にはインド文化の影響をうけている。イスラムの伝播によりマレー人は例外なくイスラム教徒である。

社会はサルタンを頂点とする貴族と平民に分かれており、イスラム法と慣習法に従って主に農村・漁村で暮らしていたが、ブミプトラ政策(注)が実行されてからは、都市に移住して多様な職業に就くようになった。マレー半島東海岸側では伝統的マレー文化が継承されている。

華僑 Overseas Chinese

国外に移住した中国人。世界中にその活動範囲を広げているが、特に東南アジアでは人口、経済力ともに重要な地位を占めている。華南地方の出身者が多く、12世紀頃から東南アジア貿易を活発に展開。現地で取引や集荷のためのセンターを開き、土地の支配者と互恵的な関係を強めていった。

15・6世紀頃には、ジャワ、アユタヤ、マラッカなどに中国人街が形成された。各地域で勢力を伸ばしていくが、現地住民や植民地支配者にとって次第に脅威となり、しばしば華僑虐殺事件が起きた。しかしヨーロッパ人支配の下で、彼らの補完的役割を果たしながら、徐々に富を蓄積していく。

19世紀になると、清の移民解禁政策とイギリスの東南アジア進出(注)が相まって、空前の東南アジア移住が始まった。自由港シンガポールはクーリー(苦力)貿易の拠点となり、ここからマレー半島などの鉱山に労働力として輸送された。中国では太平天国の乱(1851~64)などの社会不安が続き、新天地を求める流民が多かったのである。

彼らは過酷な状況のもとで働いた。同郷意識が強く、出身地ごとに「会館」などの相互扶助組織を持つ。特に福建・広東省出身者が多い。本来は移住というより出稼ぎの意識が強く、本国の家族に送金をするのが常だった。その中から経済的に成功するものも現れ、政治・経済的に重要な地位を占めるようになっていく。孫文の革命運動、日中戦争時には多額の資金援助をした。共産党による新中国が誕生して以降、多くは居住地に永住するようになる。

華人Ethnic Chinese

現在、華僑の多くは居住国の国籍を取り、また居住国で生まれているので、華僑(仮の住まい)ではなく華人という名称が使われる。戦時中は反植民地・独立運動、戦後は新しい国の建設に積極的に貢献し、居住国への帰属感を強めていった。しかし居住国、特にマレーシアでは教育、就職その他あらゆる面で制約を加えられている。

近年中国との経済関係は、以前にも増して密接なものになっている。しかしそれはかつてのような祖国愛というよりは、むしろ相互利益にもとづくものと言えるだろう。職業はあらゆる分野にわたり、彼らの存在を抜きに東南アジアの政治・経済を語ることはできない。

インド人 Indians

イギリス人によってアマゾンから持ち込まれたゴムの種子によって、マレー半島には大規模なゴム園が出現した。労働者には南インドから低階層のタミール人が導入された。彼らは低賃金と苛酷な労働条件のもと、家族とともにゴム園で生活をした。衣料・香料の小売商は北インド出身者が多い。

20世紀に入ると医者、法律家、技術者、高利貸なども到来。少数ながら政府高官、ジャーナリストもいる。宗教はヒンドウー教徒が多く、クアラルンプール郊外のバトウ洞窟では、毎年盛大な祭りが行われる。

第二次世界大戦時、日本軍がマレー半島に上陸後シンガポールに南下する途上、英印軍守備隊のインド兵多数が日本軍に投降した。それらの投降兵を主とするインド国民軍(INA)が1942年にシンガポールで編成され、1943年に同軍最高司令官およびインド自由政府国家主席にチャンドラ・ボースが就任した。

INAは「大東亜共栄圏」の下で、インド独立を武力で勝ち取ることを目指すものであったが、ネールらの国民会議派から反対され、日本軍の敗北とともに消滅した。

「アジア人によるアジアの開放」を謳う日本の宣伝工作によって、概してインド人は日本軍に好意的だった。マハティール首相は、回想録の中で日本兵の規律正しい行動を賞賛している。ちなみに彼の父親はインド出身である。

注)9州:セランゴール、パハン、ペラ、ジョホール、ケダ、ペルリス、ケランタン、トレンガヌ、ネグリセンビラン  各州をいう。
注)マレー人の特権:マレー語を国語・公用語とする。各州のマレー首長を国家元首とする。例外を除き公務員はマレー人とするなど。
注)三者の妥協:マレー人には特権が与えられ、非マレー人にはマレー国籍を取得する条件が緩和される。
注)ブミプトラ政策:ブミプトラとは土地の子という意味。他民族、特に華人との経済的格差を縮めるため、マレー人には教育  就業に高い割り当てをし、土地取得その他の諸権利においても優遇する政策をいう。
注)イギリスの東南アジア進出:本ウェブサイト「世界の中のマレーシア」5章で詳細記述予定。

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