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世界史の中のマレーシア

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投稿者:南里章二

世界史の中のマレーシア3-ポルトガルの支配

ポルトガル人の到来

ヴァスコ・ダ・ガマ率いるポルトガル船隊が、アフリカ最南端の喜望峰を迂回し、インド洋航路を経て西岸カリカットに到着したのは1498年であった。

ヴァスコ・ダ・ガマ(1469頃~1524)

スペインとともに大航海時代を牽引したポルトガルは、東洋貿易の独占をめざして東南アジア各地に植民地を建設する。1510年アフォンソ・デ・アルブケルケ(注)率いる艦隊が香料貿易の中心地インドのゴアを奪取し、翌1511年マラッカ王国を陥落させた。

アルブケルケ(1453~1515頃)

注: 若い頃はポルトガル宮廷の薬剤師だった。いきさつは不明であるが、その後ポルトガル海軍提督となりマラッカを攻略した時はすでに壮年を過ぎていた。その後中国に渡ったが詳細は不明。没年は1515年頃。 

マラッカ陥落は、西洋による東インド諸島の支配の始まりとなる重要な事件であった。また1世紀にわたって続いたマレー人によるマラッカ海峡支配の終りとなる歴史上画期的な出来事であった。

ヨーロッパ人到来

マレー諸国の抵抗

ポルトガルのマラッカ支配は、東インド地域における貿易支配の強化にはおおいに役だったが、政治的支配においては脆弱であった。マラッカ王国最後のサルタン、マフムードはジョホールに落ちのびたが、ここでマラッカ奪還の機会を狙う。彼と忠実な臣民は、マレー半島やスマトラの元マラッカ王国の勢力圏ではなお睨みを利かせており、ポルトガル船を何度も襲い、兵糧攻めにしてポルトガルを危機に陥れた。

パハン、ペラなどその他のマレー諸国は、時の情勢を伺いながらマフムード側に付いたり、ポルトガルに寝返ったりして、ポルトガルとの和平と抗争を繰り返していく。

サンティアゴ砦

ポルトガルは、宗教支配にも非常な情熱を注ぎ、多数のキリスト教宣教師を送り込んだが布教は思うようにいかず、またポルトガルが支配するマラッカ海峡の通過を嫌ったインドやジャワの商人たちは、スマトラ島の西岸に沿った航路をとるようになり、香料貿易は決して順調というわけではなかった。またスマトラのアチェも勢力を伸ばし、ポルトガルを絶えず脅かした。アチェはイスラム色の濃い地域で、ポルトガルとの抗争はいわば宗教戦争とも言えるものであった。

ポルトガルの敗北

16世紀後半になると、ジョホールは税金を他の港より安くするなどして、アジア各国からの貿易商人を引き入れることに成功し力をつけ始めた。ポルトガルは1世紀以上にわたりマラッカを支配したが、1642年オランダ=ジョホール連合軍に敗れ敗走することになる。

 ザビエルとヤジロー

日本とマレー半島の往来が盛んになったのはいつ頃からか。その歴史は古く16世紀までさかのぼる。1543年、中国のジャンク船に乗船していたポルトガル人たちが種子島に漂流した。

それ以降、ポルトガル船がマラッカから九州の諸港に渡航するようになる。マラッカは当時東西交易の中継港として繁栄しており、日本の船も次第に寄港するようになった。

フランシスコ・ザビエル 1949年鹿児島に来日。

ローマ教会史において、初めて日本人が登場したのはヤジロー(ヤジロウまたはアンジロウ)という名の男である。彼の詳しい素性は不明であるが、人を殺めて寺に逃れ良心の呵責に苦しんでいたところ、ポルトガル商人にザビエルに会いに行くように勧められ、鹿児島からマラッカに渡航したという。

セントポール寺院 ザビエル像

 

聖フランシスコ・ザビエル教会  ヤジロ―像

イエズス会の宣教師ザビエルの東洋での宣教活動は、インドのゴアに始まり1545年マラッカに到着した。ここを起点にモルッカ諸島を行き来していて、日本での宣教活動は全く計画になかったのであるが、ヤジローとの出会いによって日本に関心を持ち始めた。

聖フランシス・ザビエル教会

ザビエルは、ヤジローを通して日本人に対して大きな期待を抱くようになる。「もしも日本人すべてが、アンヘロ(スペイン語でヤジローのこと)のように知識欲に溢れているならば、彼らはこれまで発見されているすべての土地の中で最も知識欲のある人々である。」(ゴア司教区への報告書1548年)

ザビエルはヤジローをゴアの修道士養成校に送り、ラテン語、ポルトガル語、キリスト教要理を学ばせる一方、ポルトガル商人からは日本人に関する様々な情報を集めた。そして遂に日本への渡航を決意し、1549年ヤジローを連れ鹿児島に到着した。ヤジローはザビエルの通訳係として献身的に布教活動を行った。

2006年、マラッカの聖フランシス・ザビエル教会の敷地に、ザビエルとヤジローの像が鹿児島の友好団体によって建立された。マラッカでのザビエルとヤジローの出会は、日本にキリスト教が初めてもたらされた画期的な出来事となった。以降南蛮貿易・文化が約100年続く。禁教令後も長崎を中心とする信徒は、隠れレキリシタンとして約270年間弾圧を受けながらも信仰を守りぬいた。長崎・天草の教会群は、2018年世界遺産に登録された。

 

 

 

 

 

 

投稿者:南里章二

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