戦跡と追悼碑をめぐる旅 TOPICS

戦跡と追悼碑をめぐる旅

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投稿者:テレジア.M.インダ.ヒロタニ

9・5事件-降伏後の住民虐殺

マラッカの歴史

マラッカは14世紀末から15世紀初め頃、スマトラのパレンバンの 貴族がマレー半島に渡り、ここに住み始めたことに始まる。15世紀半ばには、東西貿易の中継地として世界でもっとも繁栄した港となった。その後ポルトガル、オランダによって支配されたが、現在は各時代の歴史の名残を留める異国情緒あふれる街として、人気の観光地となっている。(世界史の中のマレーシア2.3参照)

オランダ広場

しかし忘れてはならないのは、ここは日本軍による3年8ケ月の占領期間中、華僑指導者、抗日軍、抗日の疑いをかけられた人々、一般の農市民ら千数百名の人々が粛清の対象となった残虐な歴史も合わせ持っていることである。注意深く歩いてみると、街のあちこちにその痕跡を見ることができる。私は2017年夏、アジアフォーラム横浜主催による「高嶋ツアー」(注)に参加し、その戦跡をたどった。

忠貞足式碑ー日本軍に虐殺された人々の忠誠心は模範であるという意味

旧日本軍の慰安所

さらし首の橋

9・5事件とは

9・5事件とは日本の降伏後、一部の日本軍の暴走によって起こされた実に痛ましい事件である。8月15日以降、潜伏していた抗日軍とマラヤ共産党の兵士たちが次々と姿を現わし、町の有力者たちと戦後の治安維持や秩序回復について話し合っていた。そこに10名の日本兵が現れて14名を捕らえ、沖合の島に連行し殺害しようとした。そのうち2名は途中車から飛び降りて逃げたが、残りは紐で縛られたまま島に運ばれた。2名は紐をほどいて海に飛びこんだが、1人は死体となって海に浮いていたのが後に発見された。

殺害の詳細は、『英国の軍艦らしいのが盛んにサチライトを照らして、自分の舟の行動が露見するような気がして、当初の目標の無人島に行くことをやめ手近にあった島に着け、そこへ皆を上陸させた。ちょうど古井戸があったので、その前に1人づつ座らせ最初の2人ほどは私(Y中尉)が首をはねたが、だんだん夜も明けてくるし気が気ではないので、部下の下士官に銃剣で突かせ、死体は井戸の中に押し込んで島を引き上げた。』(指揮に当った中尉からの聞き取り。林博史「華僑虐殺」すずさわ書店より)この事件は戦争裁判でも取り上げられ、命令を出した第三大隊長と憲兵隊長が死刑になった。

 放置されていた

マラッカの中心部から東に約20キロの道路沿いに、犠牲者の小さな墓がひっそりと10数基並んでいる。名前の上の三つ星印は抗日人民軍、鎌印はマラヤ共産党員、何もないものは市民リーダーの墓である。マラヤ共産党は戦後すぐに非合法化され一般国民からタブー視されてきた。そのためこの一角には誰も足を踏み入れず、長い間放置されまま深い草に覆われていた。

2017年撮影

写真記録 東南アジアより 高嶋伸欣氏撮影

犠牲者の孫林少彬さん

2015年夏、犠牲者の一人林撥義氏の孫の林少彬さん(当時シンガポール在住)が墓参りに訪れた。そして帰路に向かおうとしたちょうどその時、日本人のグループがやってきた。この一行は、高嶋伸欣氏と戦跡を巡る旅のメンバーで、マラッカを訪れた時はいつも草刈りをして帰るのが慣行となっていた。メンバーの一人高嶋道さんは「本当に思いがけない偶然でした。」と感慨深く語る。

翌々年の2017年、高嶋ツアーの訪問に合わせて林さんもシンガポールからかけつけた。お墓は見違えるほどきれいに整えられていた。

地元のジャーナリストのインタビュー に答える林少彬氏

「祖父はマラッカの町のリーダーで、住民の民意をアンケート調査する責任者をしていました。また三つの学校の理事をしており、今もその学校は当時の名前のままで残っています。」撥義氏が殺害されのは37歳の時。他の犠牲者も20代から30代の青壮年で、戦後復興を担う有能な人たちばかりであった。

おじいさんの墓前で説明をする林さん

マラッカ海峡の海岸から沖合を望むと、3つの島が並んで浮かんでいるのが見える。殺害はその一番大きな島で行われた。海には波一つなく、惨事を想起するにはあまりに穏やかな光景である。「私が奨学金を受けて日本に留学をするとき、初めて祖母から祖父が日本軍に殺されたことを聞かされました。」

マラッカの海岸から望む沖合の島

氏は卒業後、日本で就職し10年間在住した。その間古本屋を歩きまわってアジア太平洋戦争に関する出版物を熱心 に収集した。その中には明治期の南方政策に関する貴重な文書も含まれている。収集した膨大な資料は、現在シンガポール国立図書館、公文書館などに寄贈され氏の名を冠したコーナーに納められている。

帰国後も日系企業の技術部門の要職に就いて活躍。今年定年退職した。「社会的にはもう十分仕事をした。60歳になったのを契機に『なぜ戦争が起こったのか』を終生のテーマとして、今後は発信に力を入れていきたい。」

人生の節目に高嶋氏に出会えたことは、「おじいさんが引き合わせてくれた。」と思えてならないと言う。

(注)高嶋ツアー:高嶋伸欣氏によるマレーシアの戦跡をたどり学ぶツアー。氏は1970年代、タイ・マレーシアの旅の途上、マラッカで日本軍によって虐殺された中国系住民の追悼 碑に出会い衝撃を受ける。以後百数十回にわたりマレーシアの戦跡を訪問し調査を重ね、日本の侵略の実態を明らかにしてきた。教科書問題、沖縄問題にも取り組んでいる。琉球大学名誉教授。アジアフォーラム横浜は、アジアの戦争犠牲者を毎年日本に招いて証言集会をおこなっている。9.5事件についての詳細は、「マレーシア」(梨の木舎)「戦争の真実」(新日本出版社)に記載されている。

投稿者:テレジア.M.インダ.ヒロタニ

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