マレーシアから見た日本 TOPICS

マレーシアから見た日本

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投稿者:陸培春(ルー・ペイ・チュン)

リー・クアンユーの警告

今もなおはっきり覚えているのだが、1980年代のある日、リー・クアンユー首相が東京を訪れ、国内外の報道陣向けの記者会見場に入るとすぐに彼は背筋を伸ばし、血色がよく厳粛な面持ちで開口一番こう言った。「皆様、タバコはご遠慮いただきたい。」

ヘビースモーカーであった多くの日本の記者は、素直にタバコをしまい、聞き分けの良い子どものようになって、熱心に質問し真剣にメモを取った。彼らにとってみれば、リー首相は尊厳ある家長である。子どもたちは不満を漏らすことなく、おとなしく従うしかなかったのだ。

また某日、井村文化事業出版社のM社長と知り合い、彼に次のような提案をした。「貴社は多くの東南アジアに関する書物を出版してきました。次はリー首相の演説集はいかがでしょう。彼の演説はすばらしく、また東南アジアの国家建設のプロセスを知ることができる大変重要な一次資料でもありますよ。」

M社長はすぐに同意してくれた。「それはいい提案だ。早速企画の準備をお願いしますよ。」私は自社の上司二人にお願いして、数百篇の演説の中から約80篇を精選し、名古屋大学の田中恭子教授に翻訳を依頼した。

半年後に、700ページに及ぶ『シンガポールの政治哲学―リー・クアンユー首相演説集』(上下二冊)が出版された。M社長は自らシンガポールへ飛び、同書をリー首相に手渡した。また、多くの日本の図書館も同書を次々と購入した。

リー氏は、卓越した政治指導者であるばかりでなく、典型的な東洋の家長でもあった。天下の大事から些細な事まですべてに口を出し、少しも手綱を緩めず、家族はびくびくしながら彼に服従し、指図通りに行動した。彼の指導のもとシンガポールは、独立して生き残ることさえ絶望的と見られていた貧しく小さな孤島から、一人当たりのGDPが5万ドルを超える周辺国もうらやむ先進国に変身した。―中略―。

彼はまた、アジアの政界でも稀有な「日本通」であった。彼の名言は30年近くたっても度々引用されている。その代表的なものは、1991年に日本が初めて海外派兵をした時のもので、彼はこう警告している。

「アジアの多くの人々は、日本が平和維持活動に軍事的に参加しないよう望んでいる。もし参加すれば、アルコール中毒患者にウイスキーボンボンを与えるようなものだ。」日本の対外侵略史については、「日本人は近代史の中の美しくない歴史の1ページから目を背けるべきではない。公開討論は被害者に発言の機会を与え、浄化作用をもたらし、清々しい未来を築くであろう」と主張している。

さらに不思議とも言うべきは、1990年という早い時期に「15年から20年後に戦後世代が政権につけば、日本はおそらく自ら進んで軍拡に走るであろう。」と予測していたことだ。今安倍は、脇目もふらず軍拡と改憲の道を突き進んでいる。今月戦後最大の全長250メートルの軽空母「いずも」が完成し、軍事力を誇示している。リー翁の予言がたったと言えるだろう。

かの人は逝き、時は過ぎてゆく。しかし彼の警鐘は一層余韻と輝きを増し、日本が再び過ちを繰り返さないための箴言となっている。問題は、かたくなで独りよがりな安倍首相ら保守政治家が、それを謙虚に受けとめるかどうかである。また日本に対して、敢えて直言できるりー・クアンユーのような政治家は、もう現れないのではないかということである。

『南洋商報』言論版 2015年3月31日

渡辺洋介 訳

リー・クアンユー(1923~2015):4代前にシンガポールに渡来した客家出身の海峡華人。イギリス、日本の占領下で青春時代を過ごす。戦後、イギリスのケンブリッジ大学で法律を学び、首席で卒業。帰国後、組合活動や学生自治会の弁護活動を通じて政界とかかわるようになる。1954年、人民行動党を創設し、シンガポールの独立に向け心血を注ぐ。59年、シンガポール自治州初代首相に就任し、以降31年間政権の座に就き、同国をアジアで最も豊かな国にした。「建国の父」として讃えられる一方、その独裁的な統治方法には批判も少なくなかった。戦後の日本の経済発展を高く評価しながらも、日本の歴史認識や軍事化には厳しい警句を投げかけた。

 

 

 

 

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